第1回コラム ~私はこういう者です~

 まずは自己紹介から

幼少から学生時代

初めまして。
大田区で生まれ大田区育った司法書士・行政書士の東郷です。

この度、大田区内にて新しく司法書士・行政書士事務所ヴィレを開設いたしました。
皆さんの身近な法律家として、少しでも生まれ育った町、そしてそこに住む人たちに恩返しができるように精進して参ります。
どうぞよろしくお願いいたします。

私は四人兄弟の長男として生まれました。
いや生まれたときには四人兄弟ではなかったのですが、幼少期をみたけ幼稚園でやんちゃに過ごし、先生に初恋したりしながら生きていたところ、小学校に入学するときには気が付けば妹が二人、弟が一人いました。
びっくりですね。

そんな長男の私。
小学校は東調布第一小学校に進学しました。
2年生からは地元の野球チームである「東一キングス野球クラブ」に入部。
よくわからないまま父親に練習に連れて行かれ、気が付けばチームに参加していた印象ですが、仲の良い友達がたくさんいたのでやる気になったのでしょう。

しかし私、絶望的に野球のセンスが無かった。
レギュラー?何それ?という具合です。
にもかかわらずそこから中学三年生まで野球を続けます。
ちなみに途中で少しサッカーもやりましたが、そちらはさらに上手くいかなかったことを付け加えておきます。
早生まれの人はスポーツで成功するには厳しいものです。

高校は都立小山台高校へ進学しました。
そして長年にわたりプレーしてきた野球をやっとあきらめて、バレーボールを始めました。
バレーボールも鳴かず飛ばず(いやバレーボールなんだから飛びなさいよ)ではありましたが、その頃には身長も随分伸びていましたしある程度やれたのではないかと思います。
高校三年間を楽しく過ごし、その後は明治大学の文学部へ進学しました。

大学は何故か五年間通いまして、その間に髪の毛は金髪になったり戻ったりしまして、卒業後一年間は川崎のパチンコ店にてアルバイトをして過ごし、24歳のときに港区にあるモデルエージェンシーに就職しました。

就職後

就職したモデルエージェンシーは日本人モデルだけでなく外国人モデルまで幅広く所属していました。
さらに国籍だけでなく、その年齢も赤ちゃんからおじいちゃんまで広い年代のモデルが所属していて、初めて芸能界に飛び込んだ私にとっては刺激的な毎日でした。
高校でアルバイトをしたころから人と話すことが好きになっていたので、様々な年齢層の人、そして様々な人種の人と話しのできる毎日が楽しく、長く勤める気持ちは無かった業界ではありましたが、気が付けば14年程度の年数をそこで過ごすことになりました。

担当していた子役がオーディションで取った仕事が水疱瘡で急遽代役になってしまったこと、
撮影日当日の集合時間に現れず、いくら電話をかけても全く連絡が取れないモデルについて
「あの子は寝坊するような子ではないので、何かトラブルに巻き込まれてしまったのかもしれません!大変だ!」
と必死に訴えたのにあっさり本人から「寝坊です」という電話がかかってきたこと。

その他、遅刻や現場でのトラブルではマネージャーが矢面に立たされて怒られ、謝り、そんな日々でしたがそういうことも
「いいモデルさん見つけましたねぇ」というクライアントからの言葉や
「この仕事取れて嬉しいです!」というモデルからの言葉に自分を奮い立たせながら仕事を楽しく続けていました。

ただ40歳という年齢を目の前にしたときに果たして自分はこの一つのことだけを続けていいのだろうか、
もっと何か新しいことに挑戦しなければならないのではないかと思い、そこで悩み辿り着いたのが行政書士という資格だったのです。

次回のコラムではその行政書士という資格について書きたいと思います。

司法書士・行政書士事務所 Wille

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